トカゲなる日々

劇団万国トカゲ博覧会の生態

原点回帰

「ケータイに便利な 世界の楽器詳解図鑑」 2015年 シンコーミュージック・エンタテイメント編 
を読みました。
タイトルの微妙な接頭語はさて置いておもしろかったです。この楽器とかこの楽器弾いてみたい!芝居の音響で生演奏したい!とはしゃいで周りから生温かい目で見られたりしました。

特に興味深かったのが「タイプライター」とか「のこぎり」とかの項ですかね。詳しくは各自でおググりなさいませ。
本来は楽器というのは身の回りの物を利用した筈です。世界最古の打楽器が手拍子であった様に、身近にあるものを本来の用途(?)ではなく楽しみのために鳴らしたのが、音色を追求する中で楽器として発展して行った訳で。それが現代音楽の流れの中で、身近な生活音を音楽の中に取り入れようとする試みは、ある意味原点回帰の様に見えます。

まあその手の原点回帰と、そこから離れようとする動きと、その真ん中を取ろうという動きは音楽や芝居に限らず色んなところで何回もあったしこれからもあるでしょうから、今更何をかいわんやという感じですが。
昨今のカフェ芝居は会場にある物をそのまま利用したりする点で原点回帰の方向ですが、今時の若い衆はぱっと見にはそれとわからないけれど実は非常に手の込んだスタイリッシュなものを作ったりしているからして、やはり歴史は繰り返すのではなく円環的に進んでいるのかもしれません。

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感想を言うこと

先週に限らず、芝居を観た後について、特に現代芸術的な芝居を観た後など。
一緒に観劇した人に「どうだった?」と聞かれると、「俺バカだからわかんねーやガハハ」としか答えようがないことがままあります。もちろんアンケートも白紙提出。
しかし帰りに飯を食ったり飲んだりする中で、先週のブログの様なことをつらつらと思ったりするのです。そしてブログのネタにすると。
これって私だけじゃないよね?と信じてるんですが。

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戯曲展

戯曲は作品である岸井大輔個展@ARTZONE

を見て来ました。京都は良いですね。

個人的には「演劇の形式化」がおもしろかったです。テキストは今もネットで見れます。詳しくはこちら
ことに「戯曲は人間が何かを始めるきっかけであり、またそういうものは全て戯曲である。」というのについて、従来であれば造物主であるところの劇作家が(ほぼ)一人で書いた戯曲に対して『きっかけ』を感じた人間が集まって芝居を作ったのが、例えば集団制作などという近現代の形においては、まず参加者全員が共有できる『きっかけ』を探すところからはじまる訳です。実際岸井氏は街頭演劇や、演劇の経験や知識のない人間による劇作を提唱しておられます。

劇作家としては権限が大幅に削られた様な気がしなくもないですが、ワンマン芝居も流行らない不景気な昨今そうも言ってられませんし、何より時代の先端の演劇には乗っかってみたいと思う程度には私も軽佻浮薄です。
そして参加者各員の意見を取り入れるにしても、やはり最初のきっかけの大まかな枠組みを作るのは変わらず劇作家なのではないかと思います。芝居をしよう!と言い出す人は、実は巷の劇団では必ずしも劇作家ではないんですが、恐らく役割としてはその多くを担っているし、そういう役割は必要なので、結局担い続けるでしょう。
戦争において一番槍を取った後最初に敵に撃たれて死ぬ人が必要な様に、言い出しっぺをして回りからフルボッコにされる劇作家は必要なのです。あはは。

社会との関わり方

ベトナムから遠く離れて」 1967年 フランス
監督:アラン・レネ、、ウィリアム・クライン、ヨリス・イヴェンス、アニエス・ヴァルダ、クロード・ルルーシュ、ジャン=リュック・ゴダール

『沈黙は共犯に値する』というスローガンの元、当時の(主に)フランスの映画監督達がベトナム戦争反対運動の一環として作成したオムニバス映画です。
私が観たのは随分前で、そして正直よくわからなかったんですが、それでも何となくプロパガンダ臭がしたのを覚えています。
前にも似たことを書いた気がしますが、現代の観客は芸術作品に籠められたバイアス(補足すると偏見の無い人間はこの世に居ません)や政治的・社会的メッセージを一昔前よりは敏感に察知できる様になりました。だからむしろ安心してメッセージを籠めた作品を世に流布することができるとも言えます。ただそういったメッセージ性が強い作品はあまり芸術的にはおもしろくないというのはよくある話。芸術的に劣る作品は世に出す意義がないかというとそんなこともないですけど。

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