トカゲなる日々

劇団万国トカゲ博覧会の生態

ランダム性

サイコロは手軽に乱数を得られる装置です。これを使った芝居が作れないかと思ったことがあります。芝居のシーンを全部で10だか20だか用意して、サイコロを振って出た目の数のシーンだけを順々に演じていくという、言わば双六ですね。
ポシャった理由は色々ありますが、一因は、この枠組みの中でも妙にストーリー性にこだわってしまったために、「2番目のシーンを見てない人は6番目のシーンの意味がわからないかも、となると2番目のシーンを見た人用のルートとそうでない人用のルートが」とか何とか、全体を統合するのに頭がパンクしてしまったことです。このシーンは絶対見せたい!という場合には双六で言う強制停止マスを使うのも有りですが、そういった機構はPCやゲーム機といった電子媒体の方がずっと優れているのですよね。
まあそれは置いといて、作者でも読者でもなくサイコロの様なランダム性が支配する小説なんてどうでしょう。


例えば背景画像がランダムに変わるサイトってありますよね。あれと同じカラクリの小説が作れないでしょうか。 ある程度まとまりのあるテキストが10だか20だかあるとします。その中の5つ位が(少なくとも建前上は)ランダムに抽出され、その順番もランダムに配置されるとします。それを一つの作品として提示する小説とかどうですか。類:レイモン・クノー「百兆の詩篇」

「それって先週のハイパーリンク小説と同じやん」と思った方、違うんです。読者が読むシーンを自分で選ぶのではなく、完全にその時の運任せになります。そしてこの小説は読む順番が固定されています。どんな順番で読むかも運任せ。
アドベンチャーゲームにはトゥルーエンドというのがありますから、どうしても正解のルートを追ってしまいます。また未読のルートだけを探してしまうのもありがちな話。そうではなくて、いかに偶然の産物をそのままに楽しめるかというのが主旨です。ガチャガチャを回す楽しみをイメージして下さい。と書いておきながら私はガチャガチャ好きでも何でもありませんが。

読者がどのテキストを読むのかわからない、どの順番で読むかもわからない、そんな小説書けるか!と思われるかもしれませんが、ここは発想の逆転とかいうインチキくさいキーワードの出番でしょう。
私の大学生時代は7割が麻雀・2割が芝居・1割が勉学に費やされましたが、そのなけなしの勉学(あるいは睡眠)時間に当てられた、とある講義の中でとある教員が「この世の出来事に意味はない。人生に物語を見出すのは人間の作為だ」という様なことを言っていたのが印象的でした。
噂とくしゃみに因果関係を見出すのが人間です。であれば無関係に見えるテキストの間に勝手に想像を働かせる仕事は読者に委ねて良いのではないでしょうか。

今回はある程度まとまった分量の文章(シーン)の配列について書きましたが、単語のランダムな配置による文章作成はもっと簡単なシステムで可能です。 そういや星野しずるさん という歌人がいるそうですね。彼女の場合完全なランダムではないですが。その辺のちょっとおもしろい話がWeb雑誌「Matogrosso」の「未来に伝えるべき“物語”を求めて」という連載にあったのですが、直リンクができないので興味のある方だけどうぞ。

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