トカゲなる日々

劇団万国トカゲ博覧会の生態

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遺憾ながら、もちろんあなたは、最初の願書類が裁判所に全然読んでもらえないこともしばしばあるのだ、ということに注意してほしい。役所はそれらを単に書類のうちに加えるだけであって、まず被告を尋問し観察することのほうがあらゆる書いたものよりも重要だ、ということを教えてくれる。そして、申請人がしつっこく願うと、役所は、あらゆる資料が蒐集されるやいなや、決定の前に、もちろん全体との連関において、すべての書類、したがってこの最初の願書も仔細に検討されるのだと付け加える。しかし遺憾ながら、これもたいていはほんとうでなく、最初の願書は普通は置き忘れられるか、あるいはほとんど失われてしまうかして、たとい最後まで保存されたにしても、これは弁護士がもちろんただ噂に聞いたことではあるが、読んではもらえない。こういうことはすべて悲しむべきことではあるが、まったく正当な理由がないわけではない。あなたはどうか、手続きは公開さるべきものではなく、裁判所が必要と考えたときにだけ公開されうるのであるが、法律は別に公開すべきことを命じているわけではない、ということを忘れないでほしい。それゆえ、裁判所側の文書、ことに起訴状は被告および弁護人にはうかがいえないものであり、したがって一般には、何をねらって最初の願書を書くべきかということは全然わからないか、あるいは少なくともはっきりとはわからないし、そのため、事件に対して重要性のあることを何か含めるということは、本来ただまぐれあたりにしかできないことだ。真に有効で論証力に富む願書というのは、後に被告の尋問をやっているうち個々の公訴事実とその理由とがはっきりと浮び上がるか、あるいは推測できるようになったときに初めて、作成できる。

Kafka, Franz 「審判」原田義人訳、青空文庫

カフカの「審判」の一部で、主人公が弁護士の話を聞いている場面です。この蘊蓄台詞だけで数ページに渡るのですが、ここでは一部のみ抜き出しました。
近頃の若者はとっつき易いものばかり読んで、と愚痴を言う年寄りはいつの時代にも居るのでしょうが、それだけとっつきにくい古典の魅力も、いつの時代にも色褪せないものです。

ではもう一つ。ホームズ物の短編「瀕死の探偵」です。病床のホームズをカルヴァトン・スミスという病原菌研究者が訪ねている場面で、ワトソン君(『私』)はどういう訳かベッドの陰に隠れてます。
※次の段落でネタバレを含む部分を引用します。文字色を反転しないと読めない様にはしてありますが、未読の方はご注意下さい。

「聞くんだ、ホームズ!」そして瀕死の病人を揺すぶるような音。私は物陰でじっとしているのが精一杯だった。「聞かなきゃ駄目だ! 聞く運命だからネ。箱は覚えてるゥ?――象牙の箱。水曜に来たでショ。キミはそれを開けた――思い出したァ?」
「ああ、そうだ、開けた。中に強い発条(バネ)が入っていた。何かの悪戯――」
「悪戯じゃないヨ、こんなひどい目に遭ってるんだ。バカだねェ、そんなことするから、こんなことに。誰に頼まれたの、ボクの邪魔を? ボクのこと放ってくれてたら、痛めつけないで済んだのにィ。」
「わかったぞ。」ホームズが声を絞る。「あの発条か! 血が出た。この箱――机の上のこいつが。」
「正解、おめでとう! だから持ち帰らず、置いてくのもいいかもねェ。決めの証拠になるんでショ。でもネ、真相はつかんだけど、ホームズ、ボクに殺されたと気づいたまま、死んだらいい。キミは知りすぎたんだ、ヴィクタ・サヴィッジの死につ、い、て。だから、そいつをお裾分けしたってワケ。もう終わりも近いねェ、ホームズゥ。ここに腰掛けて、死に様を見物するよォ。」
 ホームズの声はほとんど聞き取れないほど小さい。
「何だって?」スミスが言った。「ガスをひねるゥ? へぇ、もう日暮れ時かァ。いいよ、つけてあげるゥ、ボクもよく見たいからネ。」彼が部屋を横切り、ぱっと明かりがつく。「他に何かボクがしてあげられることはない、キミ?」
「マッチと煙草を一本。」
 私は喜びと驚きとで危うく声を立てるところだった。普段通りの声でしゃべっている――多少弱々しいかもしれないが、聞き慣れた声だ。しばらく時が止まり、きっとカルヴァトン・スミスは驚きのあまり、相手を見下ろしているのだろう。
「ど、う、い、う、こ、と、だ?」とうとう、うわずったしゃがれ声が聞こえてくる。

Doyle, Arthur Conan 「瀕死の探偵」、大久保ゆう・東健而訳、青空文庫

そこまで致命的なネタバレではないとは思いたいです…。ちなみにどちらの引用も、文庫本で大体1ページに収まる程度の分量です。(40字×18行=720字)
何も闇雲に好きな作品を紹介している訳ではなくて、先日非常に興味深い記事を読んだのです。

この電子書籍ください - 読み易さ=それは閉塞感ですか ドキドキ感ですか

推理小説を読む時、右ページでは探偵が華麗なる推理をくり広げているのに、左ページで犯人が名指しされてしまっていたりすることがあるのです。上の例で言えば、ホームズ氏の最後の台詞はぎりぎりまで読みたくないですね。どうやったら本を一行づつ読めるか真剣に考えたこともありますが、あまりスマートな方法は思い付きませんでした。推理物やサスペンスについては、携帯など一度に表示される文字数が少ない端末で読むのは、全くもって正解だと思います。
しかしカフカ等を携帯でちまちま読んだら発狂するであろうことは想像に難くありません。もし携帯で初めてカフカを読んだ人が「こんなのやってられるか!」と投げ出してしまったら、遺憾というよりも、それは心得違いだと突っ込みたいです。もっと大きい画面で読みなさい。そしたらおもしろいから、というかまだ耐えられるから。

これまで繰り返したことではありますが、各表現媒体にはそれぞれ適した表現方法があるということの具体例として挙げてみました。紙に書かれていた小説をそのまま電子書籍に移しても仕方無いし、小説が携帯で読めるというのがどれだけ便利であろうと、世の小説が全て改行ばかりにならない限り、他媒体での需要はなくならない筈です。

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