トカゲなる日々

劇団万国トカゲ博覧会の生態

ちゅう

ひらがなで書くとかわいいかと思ったのですが、もうかわいさをアピールできる歳でもないことに気が付きました。

註を見たことが無い人はいないでしょう。フツーの文芸作品に付いているのは主に

  1. 割註   本文を分割して行中に小文字で印刷されるもの
  2. 側註、脚註  そのページ内、または見開き前後2ページ分の後のページの本文下部または左に印刷されるもの
  3. 後注  巻末に注記をまとめたもの
(出典:wikipedia

の3つですかね。
個人的には側註が一番読みやすいと思うのに、滅多にお目にかかりません。遭遇するのはひたすら後註ばかりです。先日読んだ本は巻末に編者註と訳註が別々かつ大量に付いていて、参照する気がカケラも起こりませんでした。後註の方が校正しやすいとかいう事情なんでしょうか?

Webページの註にはリンクが張られている場合があります。例えばWikipedia:注釈のページには[1][2]…の註番号からページ下部の註へのリンクされています。ただしこれ、註を読んだ後に該当の本文箇所に戻れません。外部リンクにつながっていることもあります。
電子書籍になるとこれが更に改善されて、本文をクリック→該当の註ページに飛ぶ→該当の本文ページへ戻る、という仕様になっているそうです。便利ですけどつまり後註ですよね。本文と註を同時にながめられる側註の方が優れていると個人的には主張したいのですが、やはり画面の大きさがネックかもしれません。携帯の画面で側註を表示するのは無理ですし、電子書籍端末でしか読めないのも不便です。となると、電子書籍の興隆によって側註は消えてしまうのか!

ポップアップやツリービュー(ポップアップと違って別窓ではなく同窓で表示される)の註もその内出て来るでしょう。とにもかくにも註を参照する手間が少なくなれば、文芸作品における表現方法も多少変わって行くのではないかと思います。例えばファンタジー作品など、小説内世界における特殊用語について作者が自分で付ける註が増えたり(具体例が「家畜人ヤプー」位しか思い付かない辺りが私の読書量の少なさと偏りっぷりを物語ります)、もしくはWebページと同様に註が外部リンクになっていたり。ってそれハイパーリンク小説くさいですね。あとちょっと外れますが、膨大な註を読まないととても理解できない様な翻訳物(ぱっと思い付くのはジェイムズ・ジョイスとかウンベルト・エーコですか?)の読者が増えるかもしれません。
そうこうする内に側註どころか、註の概念自体どんどん変化していくのでしょう。言葉というのはこうやって変わっていくのかというのを目の当たりにする気分です。

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