トカゲなる日々

劇団万国トカゲ博覧会の生態

即興制作とは

道化と革命 太陽劇団の日々佐伯隆幸編訳

こんな本を読みましたシリーズ。去年の話ですが。
俳優の即興の積み重ねから芝居を作るフランス劇団のドキュメンタリーというか制作日記の様な本です。特にsputnik.さんの「来年もまた以下略」に参加していた頃に読んだので、非常に興味深かったです。おもしろかった箇所を引用して今日はおしまい。

すでに個別の「作品」のいいたがっていること(主題・テエゼ・状況的意味)や「作家」の「哲学」、「世界観」(?!)などの、「表現」の深層を構成する諸原理はなにひとつ個別性や差違を証す力たりえず、あるのは表現のさまざまな尖鋭形式だけで、結果的には深層の総体を吸収して肥大した表面となった「舞台」だけが現在の演劇「文化」の前衛性をいかんなく発揮しているというわけである。

〔佐伯隆幸〕

「難しいのは日常と神話の出会いをみつけることだ。演劇はそれを可能にする」

〔『ル・モンド』インタビューより ピーター・ブルック〕

「われわれは取りかえしのつかない過去の代弁者であろうか?それとも、終わりつつあるひとつの時代の果てに辛うじて識別されうるある未来を告知する者であるのか?」(中略)何が待受けているかも知らず第二の質問に然りと答えるべく決意した者たちも、その選択によってはまだ、砂漠を、蜃気楼を、沼地を、間違った足跡と袋小路を通って希望から絶望へと彼等を導くだろうロング・マーチの第一歩を印したにすぎないのである。彼らには、一握りの先達の夢と、この、われわれの時代の歴史を語るという愚かな野心以外どんな案内役もなしに労苦を重ねて踏査した道を何回でも反対方向に辿らねばならないときがこよう。

〔アリアーヌ・ムニュシュキン〕

俳優にとって、こういった綱渡り師の境地にあると感ずることは、ときとして恐ろしいことである。ひとつひとつの感情、ひとつひとつの情熱、すべての瞬間を演ずる技芸と喜びとを見いだせれば、わたしの力は無限であることはわかっている。が、見いだせないときの私の無力ぶりときたらもの凄いもので、ただ無駄に汗をかいているのである。おそらく演劇の本質的な何かが、ここには、毎日毎日俳優をしておのれの破滅か、しからずんば勝利かを追い求めさせるこの恐ろしい偶然のなかにはある。この偶然が長いことかかってはじめて彼を全体的な創造者へと仕立てるのだが――。

〔フィリップ・コーベール〕

1975年3月4日、『黄金時代』の初日、〈太陽劇団〉は19ヵ月の準備作業ののち、すべての補助を差し引いても総負債百万フランを抱えた状態になっているだろう。

〔不明〕

ペンをもった人間でなければ作家の資格がないなんて、どうしてだか私にはわかりません。即興芝居をする俳優は一人の作家である。語のもっとも広い意味で。従って、私たちには作家はいる。でも、問題は、この方法内では、私たちはきわめて未経験者だということね。
一つ一つのスペクタクルで、私たちは初心者なんです。私たちがいま作家を欲していないとしたら、それは作家なるものは決しておのれを初心者とは考えないからですよ。

〔アリアーヌ・ムヌュシュキン〕


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