トカゲなる日々

劇団万国トカゲ博覧会の生態

手塚漫画もまた高尚になりつつある

中学にあがった昭和三十四年、それまでずっと小学館の学年誌を購読していたぼくが、何のためらいもなく同社発行の「中学生の友・一年」を差し置いて、学研の「中一コース」に乗りかえたのは、むろん理由がある。
手塚治虫の「ベニスの商人」が別冊フロクについていたからだ。
感無量だった。
内容の前にまず、こともあろうに中学生向きの学習雑誌に、マンガのフロクがついた。
(中略)
五・六年生にもなって、まだマンガを読んでいる子は「問題児」あつかいされかねない時代だったのだ。昭和三十年代というのは。
だから――。
「中一コース」についた別冊フロクは、ヒステリックなPTAや教育委員会をなだめすかすように、表紙に麗々しく「シェークスピア原作」と謳わなければならなかったのだ。「冒険活劇マンガ」を載せるわけにはいかなかったのだ。大文豪の名作であれば、とりあえず親と教師を黙らせることができたのだ。“学習誌”の面目が保てたのだ。
(中略)
まさにこうして、少しずつ、マンガはより高年齢層へ向けて読者を広げていったのだ。
劇画出現までは手塚治虫を旗手として。

みなもと太郎によるあとがき 「手塚治虫マンガ演劇館」手塚治虫 2001年 筑摩書房 pp.441-443


時代の移り変わりを感じますね。
そもそも「ベニスの商人」は喜劇であり、シェイクスピア劇はパトロン貴族の嗜好に合せる必要があったとはいえ、基本的には大衆文化に属するものであった筈です。
それが年月と共に大文豪の名作などと言われ、上記の如く手塚治虫氏が漫画の地位を向上させるのに利用され、そして今では手塚漫画が学校図書館に必ず一冊は鎮座している時代です。
シェイクスピア劇が大衆から離れたことは、数百年の後に日本の漫画の歴史を変えるのに一役買ったという意味では喜ばしいことですが、ある文化が高尚と見なされる様になることは、その文化が死んでいく過程の一つに見えなくもないです。
あ、「手塚治虫マンガ演劇館」ですが、他にも「ファウスト」やら「勧進帳」やらあっておもしろかったです。私の一押しは「安達ヶ原」ですかね。

では、中学・高校に「マン研」(引用者註:漫画研究会のこと)が出現する以前、数少ない“隠れたマンガ人間”たちは、どの文化系クラブに所属していたのか。
演劇部なのだ。
すい寄せられるように、マンガ人間のほとんどが演劇部を選ぶ。
ぼくらの学校では演劇部が消滅していたので、音頭をとって再興した。
演劇部の部室でなら、なぜかマンガの話ができたのだ。同級生たちは誰もマンガを読んでいなかった時代に。
あらゆる環境の中で、ここだけがオアシスだった。演劇部の仲間はマンガに偏見を持っていなかった。

同上 p444


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