トカゲなる日々

劇団万国トカゲ博覧会の生態

役者は登場人物ではない

・・・普通の演劇の俳優=登場人物たちは、自ら「これは虚構である」とあからさまに述べ立ててみせているわけではない。むしろそこでは、舞台上と観客席が、いわば共犯的に「これは虚構である」に、気づかないふりをしているのだ。この「ふり」にこそ「演劇」というジャンルの汲めども尽きせぬ不思議さが宿っている。舞台上の人物が、これが虚構の物語であり、と同時に「演じられる劇」のドキュメントでもあるという事実を露わにするとき、それは「メタフィクション演劇」と呼ばれるのである。
佐々木敦あなたは今、この文章を読んでいる。パラフィクションの誕生
慶応義塾大学出版会 2014年 pp.89-90

こちらの本、他にも色々面白いことが書いてあったのですが、いかんせん感想が「むつかしくてよくわかりませんでした」に尽きます。もっとかしこくなりたい。
俳優演じる虚構の登場人物を観客が本物と錯覚してくれることは役者冥利でしょう。がしかし、もしそれが本当に本物なら、芝居としてのおもしろさは半減してしまうに違いありません。役者があくまで演技をしているところに芝居のおもしろさがあり、公演途中のアクシデント(絶句とか)は観客を虚構の世界から覚ましてしまう様に見えて、演劇ならではのおもしろさを兼ね備える諸刃の剣です。よって上記の『演劇は今演じられている劇のドキュメントである』というのはメタ演劇に限らず全ての芝居に当てはまります。
だからといって観客があくまで現実の役者ばかり観ているのもおもしろくない話で、子供が出演する学芸会を観る親は粗筋なぞ知ったことではありません。同様にアイドルのファンなど、あくまで属人的に芝居を観る観客は多数存在し、しかもそちらの方がチケットの購買意欲は高かったりします。虚構の世界がしっかり作り込まれている、つまりよく出来た芝居よりも現実の人気アイドルが出演する芝居の方がずっとヒットするということは、フィクションとしての芝居の存在意義は非常に薄いのかもしれません。

かといってアイドルが出演するC級映画がファンを激怒させるのもよくある話なので、その辺はバランスが大事、という結論が無難ですが、そもそもそんなバランス配分が存在するのが演劇と小説との違いということですね。最近はアニメやゲームの声優さんを愛する人(いわゆる声豚)も居るそうなので、演劇に限らなくなっているかもしれません。

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