トカゲなる日々

劇団万国トカゲ博覧会の生態

二人称その2

・・・小説の歴史には、ごく稀にではあるが「二人称」の作品が存在している。「うしろをみるな」(引用者註:フレドリック・ブラウン著「うしろをみるな」のこと)も一種の二人称だが、語っているのは「おれ」なので、一人称と二人称の合体だと言える。世に「二人称小説」が少ないのは、書くのが難しいということだけでなく、苦労して書いたとしても、得られるものが必ずしも多くはないからではないかと思われる。
その最大の理由は「うしろをみるな」で見たとおりである。「君」であれ「あなた」であれ、小説の中で(小説の中から)二人称で呼び掛けられる存在は、本当は、その小説を読みつつある者ではない。それは「君」や「あなた」と呼ばれている虚構内存在に過ぎないのだ。したがって、それは人称の問題というよりも、むしろ主人公の設定もしくはキャラクタライゼーションの範疇になってくる。二人称に見合った特殊な状況を用意しなくてはならなくなるわけである。
佐々木敦あなたは今、この文章を読んでいる。パラフィクションの誕生
慶応義塾大学出版会 2014年 pp.188-189

この世には、特にこれといった説明は抜きに、いきなり語り手が一人称で物語を開始する、という小説が、ごく普通のことにように大量に存在している。(中略)私たちはこうしたタイプの一人称小説を読む際、なぜ「俺」は延々と語っているのか、などと忖度しない。小説とはそういうものだと知っているからだ。
だが、本当はこのこと自体が非常にいかがわしいことなのではないか。語り手は、いったいどういう権利によって語っているというのか。(中略)とはいえ、これを問題にし出したらきりがないこともまた確かである。多くの、いや、ほとんどあらゆる「語る理由の説明抜きの一人称小説」は、実際に理由など持っていないのだから。
だが、二人称小説は違う。そこでは語り手と読者のあいだに「あなた」などと呼ばれる存在が挟み込まれている。「あなた」が何者であるかということよりも、「あなた」によって「わたし」が反射され、語る行為がいきおい浮かび上がらされるということが重要なのだ。
同上、pp.204-206


先週から引き続き引用しております。そして大量に引用したので本文は少なく済ませようと画策しておる訳ですが、何故これを引用したかというと、今まさに二人称の脚本を書きながら「これは二人称にする必要があるのか?」と虚しさに襲われているからです。とりあえず書き上げてから考えようと思います。

なお同著では二人称の小説として「うしろをみるな」の他に
などが挙げられています。皆様もレッツトライ二人称。

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