トカゲなる日々

劇団万国トカゲ博覧会の生態

みんなで書けばこわくない

 先日多谷くんから「お久しぶりでーす」な連絡をもらいました。やりとりの中で「今書いてたり、書こうとしてる脚本はないんですか?」と聞かれ、「複数人で脚本を書いてみたいけれどうまいシステムが思い付かない」と返しました。
以下はその件に関する一方的な追伸です。こんなところに書かずに直接多谷くんにメールしろという話ですが。

まず一つのストーリーについて場面毎に分担するという形式があります。一番簡単(?)なのはリレー形式ですね。誰かが書いた物の後を受けて次の人が、という要素も面白いと思うのですが、最後の人にしわ寄せが来る可能性大ともっぱらの噂です。ははは。
Wikipediaの脚本家のページにも色々書いてありまして、水平分担方式というのもこれに当たります。確かsputnik.さんの前々回公演「G」はこの形式で書かれた筈。何でも平田オリザ氏にインスピレーションを受けたとのことですが、今ちょっとソースが見つかりません。
これらの場合、演出の問題はさておいて、誰かが全体のテイストをまとめるのかまとめないのかが一つの鍵だと思います。私としてはまとめない方が好みですが、その場合執筆者毎の違い、担当部分の切り替わりに伴う断層をどう処理するかが課題でしょう。
黒澤明は共同執筆を好んだことで知られていますが、特にアクション映画では、数々の困難を主人公がいかにくぐり抜けるか、コンペ形式で複数の脚本家に書かせたそうです。まあこれも、誰が採用権を持つんだか。演出家かな?

執筆の過程で分担するという方法もあります。Wikipediaの同ページの垂直分担方式です。脚本ではありませんがエラリー・クイーンは共同執筆作家の著名な例ですね。
この場合、誰がどこからどこまでやるのかの線引きが非常に大事だと思います。脚本家というのは往々にして、何から何まで自分の思い通りにしたがる生き物なのですよ。そこをぐっと抑えて、余計な口出しはしないというのを各自が徹底できるかどうか。というかそんなところが問題になるのは未熟者の私だけかもしれませんけれど。

ストーリーを一つにしない、つまり短編オムニバスという選択肢もあります。その場合もやはりまとめるかまとめないかというのが問題で、これまた私見で恐縮ですが、ばらばら好き勝手に書いた短編同士を後から無理矢理つなげるのは私は好きではありません。同じ世界観・同じ登場人物を使うなど、事前の話し合いが必要です。TVドラマ版の「私立探偵濱マイク」がそんな感じでしたっけ?
オムニバスの亜種として、同じネタ・同じ話・同じオープニングからそれぞれに話を書いていくというのも有りだと思います。極端に言えば「藪の中」の各話を別々の人間が担当する様な感じ。ジェフリー・アーチャーの「焼き加減はお好みで」なんかも有りかと。

こんなもんですか?我ながら引き出しの狭い…
札幌福岡演劇交流プロジェクトMeets!では、登場人物毎に執筆者を振り分けてチャットで執筆したんだそうです。すげえ。

何にしてもですね、どうせどこかで「一人で書いてたらこんな面倒はないのに!」と思うのでしょうから、せめて企画段階ではすこぶるやる気を掻き立てられるものにしたいのですよ。と気張り過ぎて行き詰まってる訳です。ホノルルマラソンを夢見てジョギングを始めたら500mも走れなくて挫折したそこらのおばちゃんみたいなもんですね。まずは300m走れるようにならなければ…ってそれどうやるの? 
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