トカゲなる日々

劇団万国トカゲ博覧会の生態

ボール球も打ち返して

先日、ピアニストの方とお話しする機会がございまして。
現代音楽というのは得てして難解なものですが、中にも演奏不可能な楽譜というものがあるのだそうです。例えば連弾用楽譜でもないのに、手が5本ないと弾けない様な和音があるとか。
それを弾きやすい様に書き変えることはもちろんタブーだし、打ち込み音楽ならそういった無茶なものも演奏可能なのですが、どうも作曲家側はそれでは満足しないんだそうです。あくまで人間が弾いて欲しいんだとか。

現代戯曲でも、到底実現不可能なト書きはままあります。「観客一人一人に生魚をくわえさせる」は現実問題として無理だし、「アフロが一瞬で直毛になる」は物理的に無理かと(どちらも出典を忘れました。すいません。)。
何にしてもスタッフ泣かせな訳ですが、脚本家が敢えてそれを書くのは、そのト書きでしか表現できない何物かがあるからなのです。もっと実現がしやすい形で表現できたら何よりですが、脚本時点でそうとしか書けなければ、そう書くより仕方がありません。
なのでアニメーションやら映像やらで機械的に、ただアフロを直毛にしてもらっても、それで必要最低限のところは達成されるかもしれませんが、嬉しくないのです。そう書いた意図を汲み取ってもらえるのなら、どんな形でも良いのです。物理法則をねじ曲げなくても、普通にト書きを修正してくれて良いんです。ピアノはそういう訳にもいかないらしいのが何ともかんとも。
つまり脚本家も作曲家も、観客の前に、役者・スタッフや演奏者ともコミュニケーションを取りたがっているのです。・・・・・・もうちょっと良い形でできたらいいんでしょうけど。

あとピアニストの方の師匠筋に当たる音楽家さんが、歳と共に指が衰えて演奏の質が下がり、引退を決めた際に、ピアノを手放したのだそうです。そのことにとても驚いたのだと。
もしも私が同じ立場なら、まずピアノには二度と手を触れない(自分の技術の衰えを知るのが恐ろしいので)でしょうが、それでも手放すことはできないのではないかと思います。邪魔でも家が狭くなってもお金に困っても、手放せない気がします。実に未練がましい。
これは私があくまで趣味として芝居をしているからで、その道のプロであったことがないからかもしれません。生きるのを楽にしてくれるものと、生きる糧との違いですか。

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