トカゲなる日々

劇団万国トカゲ博覧会の生態

芸術に縛りなんてない

「名画は嘘をつく」木村泰司 2014年 大和書房

という近世の西洋画について紹介する本を読みまして、

  • 風景画は宗教画・歴史画よりも格下
  • 現実の風景は美しくないと見なされており空想の風景ばかり描かれる
  • 人間の絵も現実ではなく理想に添って描かれる
  • 母子像は抱き合っているのが普通
  • 天使は羽があって頭に光輪があるのが普通
  • 聖母マリアは赤と青の服なのが普通
  • 花の女神フローラを描く時はモデルは娼婦なのが普通
  • 人間の体毛は髪の毛以外描かないのが普通
  • 肖像画は横顔が普通で、正面を向いた顔は描いたらだめ(聖人除く)
  • 静物画のモチーフには一つ一つ意味がある
  • 宗教画にはうんざりするほど全てのモチーフに意味がある
  • そもそも「宗教画は崇高でなければならない」とかいうお触れが出ている

みたいな規則でがんじがらめな西洋画の世界を知って遠い目になりました。何じゃそりゃ。

要するに西洋画は初めは宗教画として、後に王侯貴族のために描かれているので、彼らの権威を守るために様々な決まり事があったんでしょう。名も無き庶民を構図の真ん中に据えて、自由に絵が描かれる様になったのはずっと時代が下ってからのことです。
演劇にもそういうのはあって、英雄が登場する史劇・悲劇は崇高で、庶民が登場する演劇は軽んじられたという歴史はあります。もちろん西洋だけでなく日本にも。
昔のちゃんとしたお芝居ではセレブしか主人公になれないんですね。

だから現代において、いわゆる日常系の演劇・小説・映画が普通のジャンルとして確立しているのは、セレブ層や富裕層が薄くなってしまったのと反比例的作用なのでしょう。
庶民が庶民を主役にした絵や戯曲を望むかといえば必ずしもそうではありませんし、冴えない普通の主人公が異世界でフィーバーするハリ○タみたいな話もあります。ただ、私がこの本を読んでこれだけ違和感を覚えるということは、近世西洋画にあった様な見えない鎖は現代では確実に外れているのだな、数百年かかって外れたのだなと、社会階級と思想と芸術の相関の歴史を感慨深く思いました、という話。

同書によると、宗教画・歴史画の背景となる風景を全力で描き込んだのが風景画の走りで、アダムとイブの体を全力で描いたのが裸体画の走りなんだそうです。そういった抜け道を開く芸術家は昔から居るもんですね。

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