トカゲなる日々

劇団万国トカゲ博覧会の生態

野垂れ死にしたこともない連中

「画家を目指す若者に、住居とアトリエスペースを無償で提供するというのは、いいこと尽くめのように見えて、結構リスキーだと思います。画家になるしかない、言い訳の利かない状況におかれれば、そりゃあ画家にはなりやすくなるでしょうけれど、画家以外のものに、なりにくくなります」
「・・・・・・それは、画家になりたくて、みんな入居するわけだから、いいんじゃないですか?」
「画家の卵が孵化できなかったとき、何にもなれないということですよ?それがどんな危険なことか、察しがつきません?言い訳の余地、逃げ道は残しておくべきなんです」
「はあ・・・・・・」
今日子さんの言うことが、どうにもぴんと来ない――何が問題なのか、判然としない。和久井翁がどういう思惑でアトリエ荘を立ち上げたにしても、その理念そのものは、画家を志す若者にとっては、望ましいものだと思うのだが。
「未来ある若者にとっては、他の選択肢だって、用意してあげるべきなんじゃないでしょうか?画家の才能があっても、画家にはならないという道だって、あっていい。私が言っているのは、そういうことです。おわかりですか?」
わからなかった。
西尾維新掟上今日子の推薦文」 講談社 2015年 pp.191-192


私の意見は『画家以外の選択肢を示したところでどうせ聞かないからほっとけ』ですかね。
画家になれないなら野垂れ死んでもいいと真顔で言う人はいくらでも居ますし、そういう人を食い物にする人も山程居ます。
近頃の芸術系専門学校では、卒業後にその道で食べていけるのは全体の何%かという話を入学式できちんとしてくれるそうです。それを聞いて考え直す位なら最初から入学しなかった訳で。

画家になるにしても、美術史を知りたければ英語はわかる様になるべきだし、人を描くなら人体組織に関する知識は要る筈です。その辺は美大のカリキュラムにも組み込まれてる様ですね。
「より良い画家になるために一般教養を身につける」と「画家になれなかった時のために一般教養を身につける」はまた別なんですが。それでもそういった潰しを利かせる広範囲な勉強を、単一科目への向学心に燃える若人が嫌がるのはとてもよくある話。宇宙科学研究を志す学生が英語の授業で爆睡する(そして大学院に進んでから死ぬ程苦労する)とか、英語以外の勉強をしなかった若者が外資系企業への就活に苦戦するとか。
つまり「これ以外のことはやりたくない」という姿勢は色んな意味で良くないんだけれど、そう言って失敗する人は大量に居て、説得するのは容易でない、ということです。
何か前もそういうこと書いたなあ・・・・・・

まあ若ければやり直しが利きますし。若人ではなく年寄りであれば、なおさら周りがどうこう言っても仕方が無い話です。
そういや乙川優三郎冬の標」は、あれはあれで良かった気が。

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