トカゲなる日々

劇団万国トカゲ博覧会の生態

天の神様の言う通り

円城
そういう書き方なり方針なりを突き詰めていくと、テンプレート(雛形)さえ作ることができれば、そこに登場人物の名前や動詞を放り込んでいくことによって自動的に「物語」を作っていくことも可能ですよね。極端なことを言えば、作家という存在自体いらなくなるんじゃないかとも思うわけです。少なくとも、ある種の作家は機械の速度に負けたりすることになるかもしれない、と。

長尾
いやでも私もですね、研究生活のなかで、コンピュータ上でテンプレートを作り、そこに単語を放り込むことによって文を作るという試みにずいぶん時間を費やしたんですよ。だけれども、そこからはあまり意味のある表現が生まれないんです。だからいくらやってもおもしろくはならない。円城さんの作品だって、円城さんという人が関与して初めてああいう形になったわけですよね。

円城
確かに、現状では創作行為をすべて機械化することは難しいんですよね。でも・・・・・・ちょっと話が変わるのですが、長尾さんは「短歌」の自動生成プログラム「星野しずる」というものをご存じですか?いま、というかこのプログラム自体は2008年から存在して一部で話題になっていたのですが、佐々木あららさんという自身も歌人である方が作られたプログラムで、「星野しずる」というものがあるんです。(中略)
ただなんとなく受け取るだけならいいんですけれど、歌人の方なんかは星野しずるが詠んだ歌を見ていると、“酔って”しまうという話があったりしておもしろいんです。歌の背後にいる人格が掴めなくて気持ちが悪くなってくるとか。

長尾真×円城塔対談 「未来に伝えるべき“物語”を求めて」 第1弾・第2弾 Matogrosso 2010/05/24,2010/06/03

先日久々にテレビを見まして。「日曜美術館」で一原有徳氏の特集をしていました。
ちょっと内容がうろおぼえなんですけれど、版画家である氏が後年、人為的な意図が作品に反映されることを嫌うあまりに、金属板を薬品等で腐食させてその表面を版画に刷るということをしていたそうです。

新しい技術を芸術に取り入れようとしているのか。それとも、人間が独りで作り出す芸術はもう駄目だと思ったのか。
私は後者の様な気がするのです。長尾氏が最終的には人間の関与が不可欠だと主張しているのを差し引いても。何か閉塞感を感じるなー。
何か見たことのないものが見たい、ってそんなに難しいことだったかしら。単に私が最近読書量が減ってるだけのことかしら。

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