トカゲなる日々

劇団万国トカゲ博覧会の生態

純文学の楽しみ

お酒の席で「純文学とかよく読みます」と申しましたところ、「純文学って社会的には評価されてますけど、実のところあんまりおもんなくないですか?」というお答えが返って来ました。その後はうやむやに流れたのですが、残念ながら、その通りですと言わざるを得ません。少なくとも、あまり人にお勧めはできないなと。
そもそも純文学とは何ぞや。ラノベと何が違うのか。純文学の堕落だの読書以外の娯楽の氾濫だの芥川賞の直木賞化だの、色々と言われておりますけれど、私なりの定義を一席ぶってみたいと思います。

読書とは旅であります。陳腐な例えではありますが、本当に。最初から最後まで通して読むならばそこに一つの行程がありますし、飛び飛びに読むのでも、読み手はある状態からある状態へ、読む前から読んだ後へ移行する過程が存在します。
問題はその旅程でして、人間は理論上は東西南北どこへでも行けます。壁があったところでぶち抜けばしまいです。同じ様に、読書の旅程に制約はありません。どの様な旅程を踏むかは読者次第です。
中でも純文学は、ジャングルのど真ん中に放り出された挙句にコンパス一つで自力で脱出路を切り開かなければならない様な旅程を強いるジャンルの本であると思います。読み手に気力・体力が無いと大層辛うございますが、それでも自分を信じて進み続ければ必ずどこかには辿り着くし、そうして得られるものはとてもプライベートです。それこそはまさしく読書の楽しみであると思います。
ただそういった本は果てしなく疲れるというのが実のところで、旅程なんか全部旅行会社に任せてのんびりディナーでも楽しみたいと思うのを、一体誰が責められましょう。そういった楽なパックツアーを可能にするために、本の側で精一杯にサポートをしているのがラノベや大衆小説であると思います。ただこの場合、読者には規定のコースを外れる権限がありません。出されたメシをうまいまずい言う権利はありますが、うまいメシ屋を自分で探しに出る=自分なりの読み方をする部分がありません。
なので自分の中では、『本は自力で読んで下さい』というお役所的スタンスが『純文学的要素』であり、『読者はお客様です』というリゾート業的配慮が『ラノベ的要素』かな、と。そんなものもちろん画一的に分類できる筈はないのですが、指標の一つとして。

偉そうに語りましたが自力で考えた訳ではなくて、元ネタは筒井康隆の「朝のガスパール」です。実験的な創作手法が話題になった作品ですが、これ以外でも筒井氏の作品は結構実験的です。
私個人は「純文学はおもしろい」と思ってますし、読む苦労も厭わないのですが、正直人にお勧めするのは気が引けます。かといってパックツアー的ラノベばかりが、ひいては旅程は旅行会社が程良く整えてくれるのが当たり前と思っている旅行者ばかりが世に溢れてしまうのもおもしろくないです。というか単に私が年を食って、近頃の若者が気に入らないだけですか?
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