トカゲなる日々

劇団万国トカゲ博覧会の生態

主題と手法

かつては、ちょうどお気に入りの技法があると、スケッチを山と積んだ中から、その技法で制作するのに最適と思われる1枚を抜き出したりしていたが、しかし今は反対に、それまでに習得した技法の中から、私がその時夢中になっている思考過程を表現するのに最適なものを選ぶようになったのである。…(中略)…
1938年以来私は自分の個人的アイデアを置き換えることにより強く引きつけられていったが、それは何よりもイタリアを去ったことによるものであった。スイス、ベルギー、オランダと次々に滞在したが、その地の風景や建築には南国イタリアほど感動するものはなかった。その結果、私は多かれ少なかれ、周囲の風景を自然そのままに模倣することから離れたのである。このような状況が内的な形象の発生を強く促したのであろう。

ジュリウス・ヴィードマン(編) (2006) アイコン・シリーズ M.C.エッシャー タッシェン・ジャパン p.13-14


へーという感じです。へー。
何がへーかと言うと、手法のために主題を選ぶのから主題のために手法を選ぶのに変化したというところです。後者はある程度色々な手法を体得していなければできないことですから、自然と言えば自然ですね。手法のために主題を選ぶのも主題のために手法を選ぶのも、どちらも理に叶ったことであり、既存の主題・手法で事足りないなら新しく作ればよろしい。必要は発明の母。
ただ私自身に関して言えば、従前から当ブログを読んで下さっている奇特な方ならお察し頂けるかもしれませんが、どうも主題がメインの考え方から手法がメインの考え方へ移って来た様なのです。歳食ったせいで枯れてきたというか、情念的な主題を思い付かなくなったというか。しかし手法に適した主題を選ぶって、それどうすんの?『スケッチを山と積んだ中から、その技法で制作するのに最適と思われる1枚を抜き出』すとかすんの?うわーめんどくせー……
そういや人気ブロガーのくるねこ大和氏は手脳なんだそうです。手法を選ぶというのとはまた違う様ですが。

ストーリーというのは、どれだけ単純で凡庸なものであっても、それを物語る方法と切り離すことができるものだろうか?すべてのスタイルや具体的な要素を取り払ったあと、何か本質的な部分が残るものなのか?その核とはいったいどんな姿をしているものなのだろう?…(中略)…
こうして、単にスタイルの選択だと思われているものが、実のところストーリーに不可欠の要素なのだということが明らかになる。本書を読むことは、「語られている中身」に対して「語る方法」がどんな効果を及ぼしているのか考える機会になるだろう。

マット・マドン 大久保譲(訳)(2006) コミック 文体練習 99 Ways to Tell a Story: Exercises in Style 国書刊行会 p.15
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