トカゲなる日々

劇団万国トカゲ博覧会の生態

「演劇1」を観た

やっとこさ想田和弘監督ドキュメンタリー映画「演劇」を観ました。わーい。時間の都合上「演劇1」しか観れなかったんですが。
青年団の舞台裏が余すところなく映ってまして、大興奮です。給与の金額とか映ってます。揉めてるシーンもあります。生々しいです。カメラが結構揺れてる(=元から構えていたのではなくて、今起こっている事柄にカメラが付いて行っている)のと相まって生々しいです。

しかしやはり一番印象に残るのは稽古のシーンですか。稽古というのは何度もやらなきゃ稽古にならないんですけど、端から見たら同じことを何遍も繰り返すのでしつこいんですね。そして平田氏の演出がすごく繊細というか細かいので、とてつもなく偏執的な作業に見えます。その膨大な繰り返し作業の積み重ねが本番につながる訳です。
あと平田氏の演出が「そこ0.5秒詰めて」みたいに超物理的なのは有名ですが、言われた役者はそれに対して「はい」とは答えながら、そのまま機械的に詰める訳じゃないんですね。なんで詰めるんだろう?って考えて意味付けするのは役者の仕事なんです。
講演か何かのシーンで平田氏が「脚本家は仮説を立て、演出家は方法を考えて、役者が実験する。脚本家の思想を役者が実現しようとすると失敗する」と語っておられたのはそういうことなのかしら。

貸出本のバランス

「バランス?バランス、とは?」
「新しく入荷した本を借りるときは、古い蔵書をセットに借りて――私小説を読むときには、かたわらにファンタジーを置いていた。詩集を読んだあとは伝記を、SFを読んだあとはビジネス書を、ライトノベルを借りるときは純文学を一緒に借りて、推理小説を読むと、続いては恋愛小説を読んでいたそうです」
「・・・・・・」
推理小説と釣り合いを取るのが、恋愛小説でいいのかどうかはともかくとして――バランスとは、そういう意味か。
西尾維新掟上今日子の遺言書」 講談社 2015年 p167


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現代演劇は衰弱に向かっているとも言えるしいないとも言える

ウイングフィールド25周年特別企画シンポジウム「現代演劇は衰弱に向かっているのか?」②

に行って来ました。
その①は不参加なんですが、②の内容から察するに、1970年代にOMSこと扇町ミュージアムスクエアを中心に栄えた関西演劇の黄金時代の話だった様です。当時のイケてる若者はデートコースに「とりまOMS行っとく?」的ノリで演劇を組み込んだんだそうですよ。
パネリストの大半は当時生まれていたかすら怪しい世代だったので、実感の湧かない方も居られた様です。私も、今演劇が流行っているかと言われれば明らかに答えは否なのですが、流行っていた時代を知らないのでね。

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女性を演じること

先日、拙作を読んで頂く機会がありまして。皆様ありがとうございました。
その際、「この役は自分が『女』であることをわかっている女優が演じるべきだ」というコメントを頂きまして。
はて。
ちょっときちんと考えてみたいと思います。

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観劇日記

突撃金魚「僕のヘビ母さん」@突撃金魚アトリエを観ましたよ。

すげえ怖くて気持ち悪かったです。あ、誉め言葉です。
突撃金魚アトリエというのは普通の民家を改造したところだそうで。前回のアトリエ公演よりは空間を広く使っていた様に感じましたが、その分お茶の間感というか「よその人の家」感があり、ひいては「よその家庭の事情を垣間見てしまった」という気持ち悪さが引き立った気がします。

あと自分が今脚本を書いているところなので余計に思うのでしょうけれど、芝居の言葉は日常の言葉と違うというのを再認識しました。
サリngROCKさんの書く脚本は、日常における感情を描くのに語彙は日常から外れていて、そしてリズムがあるんですよね。これが文体というものか。私の文体って何だろうなあ。
そういや昔「サロメ」を上演した時に「日夏耿之介みたいなのやりたい!」と思って書いたら演出家から即刻却下されたことがあってですね。「勿(なか)れ」とか「暢ゝ(のびのび)」とか読めるか!とのことでした。独自の文体があればそれで良いという話でもないという。

話が逸れましたがそんな訳で、突撃金魚アトリエ公演未見の方はちょっと遠いですけど、行ってみてはいかがでしょう。

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